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J humind association

人生をロールプレイングする/『生き直す』という新しい選択肢

『個が立つ和の共同体社会』という
新しい自分の在り方の創建と
優しい人との繋がり方

Proposal to live as RPG

1.固定観念の誕生と形成

VISION

人間は、母の胎内で受精卵となって初めて「独立した個としての生命体」と定義されます。

 

 人体の基礎が形成されていく中でも、表情もあり、シャックリもし、手足を動かしたりと、胎盤という範囲の制限の中で自らのの意思決定で行動していました。胎児の状態では、どのように見え、どんな聞こえ方であったのか。。。どのような時間間隔で、体調変化や快不快をどう感じていたのかなど、興味はあっても絶対的な答えを知る術はありません。

 

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 私達が認識できるのは出生し、この現実世界との出会いから。分娩であればウォータースライダーを抜けて着地したところ。帝王切開であれば光が微かに届く洞窟内の海から太陽降り注ぐ外海に出たような感覚。

 

 そこから私達はこの世界を見・聞き・感じ・味わい・香るという【5感】を通して、「人間の機能とそれを使った生き方」を実際に体験し、その記憶の蓄積によって今があります。これが「健常者」、所謂【普通の人間】と世間一般的に定義されるモノです。

 

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 人は生まれながらに平等。平等とは一体誰が決めるものなのでしょうか。出生時の現実世界での解釈は本人によるものではありません。生まれながらに視力が無い新生児はそれが当たり前であり、その状態を他者比較によって第3者が差別したりする事により、「自分は普通ではない」という認識が本人に入る。それが無ければ自分の当たり前を標準ではないなどという思考は生まれる事が無いはず。

 

 こうして、自分が【人体】と【5感(脳)】というものをセットに持って出生した直後から、先に現実世界で生きている者の状況により多様に分類される。兄・弟・姉・妹・一人っ子・長男・長女・欠損・欠落・不全・先天性疾患・・・いろいろな名前の中から選別され、本人の意思とは無関係に条件付けをされていきます。

 

 親から見れば、長男・長女・次男などは「子」として一括りに出来るはずなのに、「お兄ちゃんなんだから」「あなたより小さい子なんだから」など、先に生まれた方が子供の頃は我慢を強いられたり、「何回言わせるの!」「何を言ってもわからないダメな子!」などというレッテルも、親が自分で受けてきた教育をそのまま自分の子にしているに過ぎませんが、それは子供に関係あるでしょうか。

 

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 生まれた時は泣く事も、排泄する事も大自由でした。社会生活を送る上での基盤として、オムツからトイレでの排泄に移行や、人体の成長と共に衣服の大きさを変えること、飲食の介助から自立動作などは必然ではあります。が、果たして【泣く】などの感情を出すことをそこまで抑制する必要はあるのでしょうか。

 

 現代人は、他者に本心を打ち明けられないことが何より苦しく、淋しく、それを許されない冷たい社会の中で生きています。

 

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 私達は何を考え、何を変えていくべきなのでしょうか。