なぜ【個が立つ和の共同体社会】を実現させなければと思ったのか
人は、幸せになることを願ってきた。
人類史が始まって以来ずっと。
様々な発明をし、テクノロジーの発達をしていきながら。
今この瞬間が、過去最高に便利で住みやすいことは間違いないと思う。
だが、果たして今、全人類は幸せであると言えるだろうか。
長い年月をかけて追及してきたはずの幸せを、人は手に入れられていると言えるだろうか。
今のこの世界を見てみよう。
国の権力を握っている一部の人間が、自分の国以外を差し置いてでも自国が肥えることを考え、そしてその国に生きる一般市民は【国】という支配の中で、今までの積み重ねてきた『当たり前の生活』を何の疑問も感じずに不満を吐露しながらも生きている。
自分を定義する場合、自己都合によって変化するが「自らの体」という境界線が最小単位であり、自他を強烈に分けている。
考えや発想は、自ら何の立証もしていない不確実性この上ない外部情報から得た自分の知識経験を、あたかも真に正しいことだと自信満々で胸を張って主張し、他者の意見を否定しなければ自分を保てない。
自分の一部しか見ていない、どんな人生を歩んでどんな経験をしてきたかもわからない他者からの勝手な思い込みによって決め付けられた自分の人格を、そうかもしれないと安易に受け取ってしまい、自分自信を自分で決められない。
競い、争い、勝者と敗者を生み、勝者が力を付け、敗者は蔑まされる。
これが・・・長年求め続けてきた本当の幸せの形なのだろうか?
仕方ないと諦めて、今のままで死ぬ為に生きていくことが人類の望む【人生】なのか...
誰かが変えてくれるかもしれない。
淡い期待を誰もが、何百年もしてきた。
それで果たして変わっただろうか。
待っていて確かに生活がいくら便利になったし、これからももっと便利になるだろう。
だが、便利=幸せとは違う。
人間にとっての本当の幸せとは一体何なのか。
人類共通の幸せの定義とはどういったものなのか。
是非一度、自らに問うて欲しい。
そうしなければ、人類は人類によって滅ぼされる結果となるだろうと、私は思う。
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個が立つ和の共同体の概要説明は以下のリンクにあります。
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