J humind association

人生をロールプレイングする/『生き直す』という新しい選択肢

『個が立つ和の共同体社会』という
新しい自分の在り方の創建と
優しい人との繋がり方

Proposal to live as RPG

事業創立に至る迄の想い

私は、ずっと探していました。

社会に対して自分に何が出来るかを。

そして気付きました。

この世には、争い・犯罪・戦争があり、それは悲しくも、全て人間関係から起こっているものということを・・・

 

2011年初秋、私は激安店の急増により長年従事していたマッサージ(リラクゼーション)業界を辞め、友人の呼び掛けで介護業界に携わる事になりました。

《介護=命の尊厳を守り、時には人生の最後に立ち会う場所》

そういった思いを胸に仕事を始めました。

実際従事してみてかなり大変な仕事である事を知ると同時に、今迄マッサージ業界で管理運営責任者として収支バランス・スタッフ給与・求人広告費・リネン代・店舗家賃などの経営経験を積みつつ、スタッフと歩んできた経験を活かしていこうと思っていましたが、全く土俵が違うという事を思い知りました。

マッサージ業界では、自分が培ってきた施術技術とコミュニケーション能力だけでお客様を接客し指名・リピートを取っていく、言わば職人気質の方々であり、完全歩合制である事が多いので、個々の意識やこだわりが強いので、意見の衝突や調和を図るのがなかなか難しいところもあるのですが、それは自分なりの施術理論にプライドを持ち、それぞれが理想とするサービス提供に自信を持っている表れであると言えます。

 

しかし、介護業界で接するスタッフはパート・アルバイトという雇用形態の人々。辛ければ辞めていき、環境やお客様のせいに平気でするのが当たり前で、意識するのは如何に楽して給料上げるかということ。初めは接するスタッフと自分との温度差で失敗を重ねた日々もありました。

 

そして2012年春、友人が代表取締役として着任する会社にオープニングとして入社し、介護施設の責任者として仕事に就くことになりました。

初めての業務が多いので仕事を覚えて円滑にどうしたら回るのか、泊まり込みで仕事をする毎日。勤務時間が終わっても残って朝まで資料を読んだり書類を作ったり・・・。公休日でも帰る元気がなく、仮眠室で休んでいても来客があると「居るんなら対応してください」と起こされて接客する日々が続き、私は3か月で自ら進んで取り組んでいた仕事の仕方によって精神的に追い詰められる事となりました。当時は独身でずっと自宅に戻らずとも問題はなかったからとは言え、寝泊りして仕事と知識を詰め込んだのは相当自分で自分を追い込む結果となりました。

 

このままではダメだ。仕事ばかりしていたら自分の視野が狭くなる。外の空気を吸いに行こう。

 

そう思い、自宅に帰ったりたまに海の見えるホテルで気分転換したりしながら、それと並行してFacebookでたまたま見つけた異業種交流会に参加してみようと、仕事としての外気に触れに行きました。

 

私はそれまでは、10年以上も会社が責任を取ってくれるという守られた中で、数多くの店舗経営を経験させていただいてきた立場の人間でした。ですが、異業種交流会に行き、本当に目が覚めました。

沢山の、自分の責任で経営をしている方々が直接対話してくださり、初めて「自分の責任の元、社会貢献できる仕事をしよう」という思いが発現しました。

私は今迄、マッサージと店舗経営の経験があったからか、職場には困ったことが正直なく、面接を受ければ合格の人生であった為、「会社に所属する」という事が無意識的に当たり前となっていました。

ですが、数多くの企業の社長にお話を伺った時、私にも火が付きました。

「自分で会社を起こそう」と。

 

それから長年、自分は何が出来るかを模索しつつ介護業界で働いていました。

パート・アルバイトのスタッフとも調和を取りつつ、職場の問題点は有りつつも運営は軌道に乗っていました。

そんな折異動の話が出て、決定して半月で引き継ぎを済ませて別施設の責任者に着任しました。マッサージ業界では既存の店舗に責任者として就く事は何度も経験してきましたが、介護では初めての経験だったので胸躍らせながら初出勤したのを、今でもよく覚えています。

が、その期待は多くの?マークに変わる事となりました。

 

オープニングで始めた以前の施設では、1から創りあげたのでお客様には丁寧語であり、スタッフ間の呼び方や共有スペースでの会話や物品配置にも気を使えるスタッフに教育し、介護と言えどもマッサージも同じく接客業ではそれが当たり前であると思っていたのですが・・・そこで働くスタッフは、スタッフ同士の呼び名は友達感覚、休憩自由、お客様には自分の親や子供に対して使うような言葉を使い、就業時間であっても早く終われば帰るなどなど、目を覆いたくなるような惨状でした。

前の責任者では許されていた事でも、責任者が変わったからには色も変わるという事をスタッフに伝え、意識・言葉遣い改革から始めていきました。脱落していくスタッフも少数居ましたが、ほぼ全員が大きな変化にも関わらず頑張ってついてきてくれました。対外的な評価も短期間で変わるなど、スタッフにとっても実感として喜びを感じてくれる職場環境になりました。

職場環境が自他共に望まれる環境になったら、次はスタッフの会社評価をどう上げていくかに着手し始めました。何が問題で今の給料が評価として表れているのか、それを個別で話していくことにしました。その時にある事に気付いたのです。

《介護業界の多くは主婦層であり、家庭と仕事を両立しているという事に》

私は考えました。

離職率が多い介護の現場で、どうすれば継続して雇用を確保できるのか」

そしてある結論に到達しました。

【仕事をしていく中で、学校では教えてくれなかった人間力が向上させ、いろんな発想の転換や物事の捉え方を共有する事で家庭の悩みも自ら解決できるようにしよう】

当たり前・習慣化。これをスタッフの悩みや仕事上での課題に応じて提案し、やっていく事で行動や発言から自分の内面的な成長を促していき、それによっての変化の共有で他のスタッフの気付きや興味の連鎖を生むことにより、一人一人の行動がやがて全員が出来るようになっていきました。

 

例を挙げると、

例1:「人の話を最後まで聞かずに、遮って持論展開し、喧嘩になる」

このコミュニケーションパターンは、癖として持っているとTPO関係なく出てしまう厄介なものです。このスタッフにはまず

  1. 言いたい事が出たとしても最後まで聞いてみる
  2. 最後まで聞いた感想を相手に伝えてみる
  3. その上で自分の意見を伝える

これを該当スタッフにしてもらい、他のスタッフもこのコミュニケーションパターンでこれから接するという事も共有する。もし癖が出てしまったら「あら~」を合言葉に癖が出た事を相手に認識させる。この繰り返しを1ヵ月間行っていく。

 

例2:「お客様と対話する時に目線を合わせずに立ったまま上から話してしまう」

お客様は当然のごとく目上の方。自分の子供に対してもこれが出来れば威圧的に感じさせにくくなります。このスタッフには

  1. お客様と話す時はしゃがむ
  2. 顔はお客様の方をしっかり向ける(睨んでしまわないように)
  3. ゆっくり話す事を心掛ける(これをする事で穏やかで優しい対話に感じることができる)

これを該当スタッフにしてもらい、他のスタッフもこのコミュニケーションパターンでこれから接するという事も共有する。もし癖が出てしまったら「咳払い」を合図に癖が出た事を相手に認識させる。この繰り返しを1ヵ月間行っていく。

 

これをする上での絶対条件が一つあります。

『合図を貰っても怒らずに、真摯に受け止める』

何度も合図を受けると自己嫌悪や他者批難をしてしまいがちですが、変化を望む事を納得して行っている以上、無意識の意識化には時間がかかる事を了承の上実行する事を前もって認識してもらっていました。

一週間毎に自己評価他者評価をすることにより、自分の現在地を確認し変化が必要であれば修正します。一か月後には殆ど合図がなくなるようになっています。

 

次のパートは【自宅で家族相手にやってみる】です。

これは職場で意識化出来てから行い、プライベートでの活用に入ります。変化が有り次第朝礼で共有し、それぞれの知識として持って帰る、という風にしました。

 

これに取り組んでみて、離職率は激減!

家に居るより職場にいる方が己を高め合える仲間に囲まれてイキイキ出来ると言ってくれるスタッフも居ました。

 

しかし、この裏にはもう一つの裏の思惑もありました。

【女性特有の陰口は言わずに、直接言い合える間柄になる】

真摯に受け止める習慣が出来れば、間違っていると思った事を質問や提案という形で伝えれば、反発で返すことなくディスカッションできる。この関係性を生み出したかったのです。

 

責任者として、職場のスタッフをスタッフとして見ず、個人としてどのような生活の中でどのような悩みを抱えているかを本気で考え、それを一緒に最後まで解決していく。

これが私のスタッフ教育の根本としてあります。

 

このようにスタッフと変化を楽しみながら仕事をしていくうちに、私はテレビである事件を目の当たりにしました。

 

これがきっかけで私は、「自分の出来る事ではなく、したい事の発見」と「会社の設立の決断」に踏み切る事になりました。