J humind association

人生をロールプレイングする/『生き直す』という新しい選択肢

『個が立つ和の共同体社会』という
新しい自分の在り方の創建と
優しい人との繋がり方

Proposal to live as RPG

『不足を感じている人』と『満たされている人』の好奇心の違い

人には、常に不足を感じている人と、常に満たされている人がいる。


この違いによって質問の仕方なやコミュニケーションに違いが出てくる。




■ 常に不足していると感じてる人


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不足がある人は不安感から質問をする。

相手の情報・リアクションによってその不足を埋めようとする。


自分の欲しいリアクションの形が決まっている。


不足を満たすために相手からのリアクションを求める。

もらえなくてもいいや、という気持ちがどこかにあるので得たいものが得られないと諦める。


それ以上追求することはしない。




■ 常に今が満たされていると感じてる人


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満たされている人の質問は好奇心からくる。


満たされている中ではそれ以上変化がおきないことをわかってる。


そのため新しいことを発見すると取りに行く。


ゲーム感覚で

こうしたらいいんじゃない?

こういうのはどう?

と知りたい気持ちが動き出す。



■最後に


『「あったらいいな」という考えが出てくるなら、満たされてないんじゃない?』という見方があるけれど、それは不足ではなくて、新たなものに触れたいという好奇心。

今の私を包み隠さず書き出してみた

権力・財力・暴力

人間が人間を支配できる大きな力

それを手にしたいと、人は一度は思い描くだろう

それは支配される側に立った時に、そこで生きたくないと思ったから出てくる想いじゃないかな

 

 

そして、途方もない努力をして手にし、望むのと同等の力を得たと自ら認識でき、実感したとしよう

一時的にはそれに酔いしれるだろうね

 


それを得たと実感できる閾値は人それぞれ

そこに多い少ないは関係ない

人がどう思うかは、その人の人生観によるものだから、人によって違って当然のこと

 


力を持たない時には弱者、力を持った時には強者となる

これが今の世の当たり前の縮図

力とは、自分以外の存在が畏怖や尊敬に値すると認められた時、初めて実感するもの

 


強者の立場になった時、弱者時代だった自分のことなどは意識的には覚えていると思っていても、無意識レベルでは本当は忘れてしまっている

弱者の立場になって気持ちを考えるなんてことは、もうその時点で考える事は難しいだろうね

 


同じ種族なのに、その中で支配する・されるの関係性を作っているのは、人間より脳が発達していない動物の世界でも同じ事が、日常的に行われている

 

 

 

 


人間は、人間自ら作り出したものに気付かぬうちに支配されてしまっている

お金・自動化・AIの台頭など様々なものが人間の手によって生み出された

お金は価値基準が地域や人によって違う定まらないものであり、お金と価値の交換をコミュニケーションを取る殆ど取ることなく簡素化を図る為のシステムと今やなった

自動化によって効率化を図り、AIまでをも作り出した

人間の手間を如何にして排除しようと考えて追及した結果、普及するスピードが日を追うごとに増し、常識が更新される速度も比例して早まり、その常識に追い付く事に必死になるばかり

それが自分にとって有用なのか、自分の信念に反してないかなど、考える余地もないまま大衆化されていき、多くの者が手にしている=それこそが正しいという安易な風潮に感化されるシステムで、今この社会は出来上がっている

 


歴史に積み重ねによってシステム化された教育・金融・政治・法律など、様々な分野において常識が存在する

その常識が複雑に絡み合って、今の社会が形成されている

 

 

 

 


人は習慣化された当たり前や常識に対して、疑問を抱くという事が殆どと言っていいほど無い

抱いたとしても、今の生活や今迄の価値観を容易に変える事は難しい

ましてや実生活にそれを反映させることなど、現実的に無理だと考えるだろうし、今迄の自分の信じて疑わなかった価値観を自ら否定する事など、人は到底することはできない

人に承認されることを目的に生きている人が大多数のこの世の中で、自分自らを承認しないなど誰が考えられるだろうか

 


そんなことをするには、相当の覚悟と勇気を要する

 


勿論、今迄の当たり前や常識の中で生きてきた私は、常識は知っているし守ることもできる

当然常識の範囲内で生き方を選択する事もできる

 


でも、常識に自分を縛りつけて生きていることは本当の自由ではないと気付いてしまった私は、真の自由を手に入れる為にはどうしたらいいのかを考えた

これは不自由が何よりも嫌いな私にとって必然的な発想だった

 

 

 

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自分が選んでいたのは、自由から自分の意思で選んでいたのではなく、過去の誰かが造った道の中からでしか選択していなかったんだと、私は気付いた

 

 

 


よくさ、信号無視やスピード違反をしてしまうじゃない

その時って、常識の範囲が息苦しくて、自分の意思を尊重したいと思った結果起こる衝動だと思うんだよね

でもそれをして見つかった結果は、マジョリティ(多数派)の正義に従わせようと、自分の意思は間違っていると強制的に自分より強い力によって粛清される。

 


人間は、そこまで縛られるべきなのだろうか

人間はそんなに雁字搦めに決め事が無いと犯罪ばかり起こす種族なのだろうか

 


人間はテクノロジーによって、多くのことが出来るようになった

空も飛べる

走るより早く移動できる

計算だって書くより暗算より早くできるようになった

でもこれって見方を変えると、人間が手間をかけてすることが減ってきたという見方もできるよね

出来る事なのにしなくてもよくなる状況を生み出し続けている

 


効率的になる事は非常に望ましいことだよね

体を活かして現実で生きれる命の時間が有限であるのだから、それを有効活用する為の時間確保ができるのだから

 


だが、やらなくなるということは徐々にやろうと思った時に出来なくなることに直結する

寝たきりで使わなくなった身体機能をいざ使おうと思った時には、リハビリが必要になる

これと同じ状態が今起こってはいないだろうか

 


人間は成長に比例して出来るようになることと、逆に出来なくなるようになることがある

出来るようになること、知識量や技能・様々な力の得方などの蓄積していくもの

一方で失われていくものは何だろうか

人は人生の中で今持っているものしか目を向けることはないのだ

それは、既出だけど変化後に順応するのが早くなっている事も原因のひとつだと思う

 

 

 

 


歴史に用意された選択肢の中でしか選択できない不自由さ

自分の意思よりもマジョリティな正義を強要される歯痒さ


過去に自分がどんな影響を受け、気付かぬうちにこれが絶対だと自分の自ら決定したわけではないのに思い込んでしまっていた無意識があった

そこに気付いてしまった私は、新しい可能性を探してみたくなった

 

 

 


今の私は、一般的な常識人からしたら特異的に見えるだろう

異端児に見えるだろう

それは当然だと思う

人が日常で気にしていないところに疑問を感じ、そこを突破する道を模索して、常識とは違う生き方の可能性を人間に見出すことができた、普通の人から言わせればイッチャッタ系の人なんだから

基本的な在り方を、常人とは少し異質なものに敢えて置いているのだから、そう思われるのも必然だよね

 

 

 

 

 

 

 

 


これは、私の人生を掛けた実験

完成はしていない

今まさに実験の途中

まだまだ模索しながら生きてる


だから、今の私の生き方はオススメしない

だって、まだ安心して生きられる道だと自分で確信してないから


だから理解されなくてもいい

私が勝手にやってるだけだから


質問されてもまだ答えられない事もある

実験中のことに結果を見出せて言語化するに至れてない事も、残念ながらまだ多くあるから


でも、そこで判断されるのも別に構わないと思ってる

だって人間は、部分的にしか物事を捉えられず、自分が得た情報の中だけで理解しようとすることは、脳機能的な限界であることが解っているから

相手のこと100%理解することなんて不可能であることは、今の私の狭い世界観の中で得られる知識の範囲内では無理なことであると承知しているから

 

 

 


傍から見てるだけでもいい

関わりたくないなら関わろうとせずに距離を置いてくれても構わない

それは人それぞれの価値観によって受け止め方が違うので、そこを縛るつもりも、無理に理解してほしいとも思ってない

自分の心地良い自由さの中で決めたらいいと思う

 

 

 


実現可能だと思う結び付けたい最終のビジョンは決定付けているから、そこに向かってただ可能性を信じて私は進むだけだよ

 

 

 

 


力に執着し続けなくてもいい

強者も弱者もない関係性

相互フォローの共生社会

そんな優しい世界が創れたらいいなって本気で思ってる


人の意思が尊重され、現代人が自分と自分以外との間に強烈に引いている境界線を限りなく薄くし、自分の範囲を自分の体以上に広げて考えられる発想が出来る心温かい人との繋がり

人それぞれの正しさや、望む生き方が応援し合える仲間の連帯

そんなコミュニティが、この現実社会であってもいいんじゃないかな


今の世界も勿論良いところが沢山あるよ

私がしたいのは現実社会の否定じゃない

私は今の社会に生かしてもらっているのは事実なんだから、感謝の心は忘れてないよ

私の目的は、生き方の選択肢を広げたい

ただそれだけ

 

 

 

 

 

 


自分の子供達にどんな環境をプレゼントしてやりたいか

自分の大切な人達がどんな関係性で繋がっていたら楽しいと思うか

何より、自分自身がどんな在り方の仲間に囲まれて生きていきたいのか

それを考えに考えて行き着いた私なりの答え

それが【個が立つ和の共同体社会構想】

今の人生実験の先に実現可能であると据え置いている未来の形

 

 

 

 

 

 


今の社会と如何に接続していこうかも考えながら、自分の目指すものを一生懸命創っている途中です

 


この世は相対世界

良いもあれば悪いもあるのは必然

でも存在するのは極の思想ばかり

私はそれでは生きづらいと思う

だから中庸を取れる柔軟な心を育んでいく事が、この先に繋がっていくんじゃないかなって思ってます

 

 


社会を安定・維持・創出のも人

お金や物を運んだり直すのも人

家族も、地域も、国も人で形成されている

人間である以上、私はどこまでも人間らしく在りたいと思う

私にとって人間は、もっと感情表現が豊かで、自由を目指して生きていいと思う

必要以上に縛らなければ纏まらないとは思ってない

今に変化を加えることで、新しい道を創れるって本当に思ってる人間です

 

 

 

 


笑うかな

無理だって思うかな

全部私の思い込みだって言う人も居るだろうね

これをやる意味があるかどうかなんて、今はわからない

でもやりたいんだ

 

 

 

 

 

 


縛りたいのは未知が怖いから

保険ってそういう心から生み出された商品だよね

何が起こるかも知れない事を未然に防いだり対処しようとすると、全ての人を強制的に縛ってしまう

それが法律

それが常識

それが普通

それこそ正義

今の人間の在り方の結果生まれた強制力

今の人間が信用できないから作り出した縛り


仕方ない?

そうじゃないでしょ

変える行動に踏み込む勇気が無いだけじゃないかな

 

 

 

 

 


私は今の社会を尊重しつつ、別に人が生きれる道を確立してみせる

そして、どちらの社会も共存できる形を創ることに最後まで拘っていきたい

本気で命の限り生きてやる

ただそれだけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今言えることはこんな感じ

何を感じたかは、見た人それぞれの今の在り方が決めると思う

どう思ってほしいかとかは全くないです

ただ今の自分の想いを書き殴っただけだから

 

 


こんな私の世界の片隅で小さく叫んでる男の言葉に、最後まで付き合ってくれた方全てに伝えたい

本当に、心から、読んでくれてありがとう

【セーブポイントとは?】なぜこの時代に成立しているのか【交換から循環へ】

●「 交換 」から「 循環 」へ ●


今の資本主義は『交換』が主流で経済が回っている。


物の価値は自分で決めるのではなく、先に他者に決められた状態で選ばざるを得なく、1円でも足りなければ手にすることが出来ない。


『等価交換』が絶対的に適応され、等価かどうかはすべて例外なく『お金のみ』によって計られる。


人が価値と思うモノを創出し、同等のものを創出していない者は自分の生み出した価値との交換ではなく、『お金』という指標一つのみで交換が成り立つのが今の社会構造。


自分が出した分だけの同等のものを、出したらその場ですぐに受け取らなければ損をすると思い込んでいる。


その当たり前に染まりきってしまい、それ以外の手法を考えようとすらせず、流れに任せるだけで思考することを放棄してしまっている。


今が如何に不条理で、納得のいかないことに溢れているのか、それが決まり事であり、システムだから守る。


もうこれではプログラミングを組み込まれたロボットと変わらない。

 

 


交換とはその場で完結してそれ以上広がることは無い。


いつまでも自分の生きている世界観が、日常・当たり前・常識の範囲内でしか変化しない。

 

 


一方、循環という考え方は、『自分の言動の価値は回り巡って自分に返ってくるものだ』という考え方。


交換に執着した狭い発想でその場完結するのではなく、金銭払いに限らない発想であったり、交換するものが無くても応援という形で提供したりなど、その場その時に応じて多様な選択肢の中から柔軟に選ぶことができるようになる。


損得や形ではなく、心を重視した人との関わり方。


そんな沢山の人の心によって、利用する人の生活を助け合うという生活モデルを実験的に行う。


『心の循環=経済循環』を基本精神として運営されていくのがセーブポイント

 

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【 非常識をも包括した常識人が集う場所 】


人間はもっと自由でいいと思う。


今、どんなしがらみの中に居るかを一度とことん考えてみたら、物凄く沢山の事が見えてくる。


常識・当たり前を疑ってみると、どれほど複雑に絡みついた解り難いものに縛られているかが本当によくわかる。

 

 


セーブポイントとは、親の当たり前の中で生きてきた常識の枠を超えた者が集う場所。


そして、今の自分の生き方に疑問を持つ者が、答えを探しに来れる場所。

 

 


【 何ものにも縛られない自由の中で生きる人が交流するコミュニティ 】


土地を持つ者は、建物や駐車場などを人に貸したり、または農地にして食物を栽培して販売する。


能力のある者や先見の明がある者などは、共に手を組んで世の中に新しいものを生み出していくことでビジネスとしていく。


資源を占有できる者は、代々それを家系的に独占し続け、市場価値を見ながら金額を操作して資本を増やしていっている。

 

 

人は生まれながらにして平等であるというのは、同じ地球に生まれた生命体であるということのみであって、それ以外は平等ではない。


自分が存在し始められる母親の胎内環境も、母の性格や生活地域・習慣などによって十人十色である。


出生以前からすでに不平等なのだ。


出生後は親の生活環境に選択の余地なく巻き込まれていく。


親の収入や性格によるコミュニケーション能力・生活習慣などから、否応なしに影響を受けていく。


そしてそれを基にして子供は人格や生活の送り方、人との接し方を自分の中で形成していき、人生を歩んでいく土台を創っていく。


いや、親が与えるすべてによって創られていく。


そんな人生を歩んできた者が、今迄生きてきた中で積み重ねて凝り固まった価値観を手放し、人間が持つ最大限の可能性の中で自分の人生を自分で創っていくことを決断した者が、更に自分を拡げる為に多くの人と交流していく建設的なコミュニティ。

 

 

【 簡単に言えば 】


世間や常識というものの中でしか物事を考えられない今までの考えの枠を突破した、


世の中で非常識と思われるようなことも発想の範囲に入れた状態の中で、


最大限の自由度を行使できる新しい常識人が、


利己的ではなく利他的の精神も含めれる『利総的』な発想の元、


多くの相互交流が行われる。


滞在費もセーブポイントを応援してくれる人の支援によって回る。


そんな、脱近代的な関係性で成り立つ仲間が集え、


気軽に立ち寄れたり寝泊まりも無料でできる


一個人の自宅を住み開きした


助け合いで成り立つ秘密結社的隠れスポット。

 


それがセーブポイント

 

 

 

【 運営継続にどうかご支援ください 】


1Kの間取りで運営していた第1期セーブポイントに集まってくる仲間が、


お陰様で急激に増えてきたので、


2月中旬より第2期セーブポイントとして一軒家に移転することになりました。

 


間取りの拡大に伴い、現状の1Kでの物品を移動させてたとしても、


人は迎え入れれますがとても快適に過ごしていただける環境とは言い難い状況にあります。


今後の運営にあたり、支援金を3パターンで募っております。k


1.polcaによる支援

polca.jp


2.VALUによる支援( 0.00114BTCにて売り注文出しています )

valu.is


3.銀行口座への直接入金による支援

三菱東京UFJ銀行
蟹江支店
普通 1631165
キトウ テツヤ

 

この活動にご賛同くださる方の温かいご支援、心よりお待ちしております。