J humind association

人生をロールプレイングする/『生き直す』という新しい選択肢

『個が立つ和の共同体社会』という
新しい自分の在り方の創建と
優しい人との繋がり方

Proposal to live as RPG

2.家庭環境で作られる基礎人格

出生した新生児は胎盤から出生地、親が居宅としている生家と生活環境を変え、人生を歩んでいきます。

 

 生きていく為の世話を家族から受けながら成長していきます。人体的な成長は飲食・排泄の世話、生活環境や風土に合わせた衣服の着脱、入浴などによる清潔保持などを中心に行われ、身体機能維持・向上を目的として行われていきます。

 では精神的な成長はどのように行われていくのでしょうか。

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親が子供に対する行動は成長の段階によって増えていきますが、大筋としては

 

 1.放棄・・・親としての責任放棄、養育しない

 2.怒る・・・親の主観(物差し)で子に感情を叩き付ける

 3.命令・指示・・・意図は話さず「〇〇しなさい」とだけ言い放つ

 4.他者比較・・・他の兄弟姉妹や近所の子・過去の親と比べて子を判断する

 5.否定(行動・人格・存在)・・・言った事が出来ないと「ダメ!」「出来ない子」という烙印を押す

 6.人格定義・・・「この子はこういう子だ」という決め付けをする

 7.先行危険回避行動・・・危ない行動が出来ないように防御線を張る

 8.共感・・・子の想いを自分事とし、同じ想いであるという安心の環境を創る

 9.叱る・・・なぜそのような行動をしたのかを理解しようとし、同じ事をしないように導く

10.褒める・・・出来るようになった事を共に確認し、喜び合う

11.共に考える・・・意見に耳を傾け、子を尊重しながら共に答えを導き出す

12.認める・・・子を一人の人格者として接する

 

 以上、12段階(項目)に分類されると考えています。

 

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1~7は親の子への思想の強要(教育ではなく飼育の部類であり、強制的に言動の制限をすることにより子の可能性を狭めていく)

8~11は教育(子に主体を置き、独自性・創造力を育てていく)

12は対等(発達途中の子供という認識から外れ、平等な意見交換が出来る)

という解釈が出来るのではないでしょうか。

 

1~7を基本として育てられた子は、代表例として

・自分に自信が持てない

・自分の思い(感情)が素直に出せない

・何をしても怒られると思い、行動力・積極性に欠ける

・顔色を伺って、自分の思ったとおりの行動よりも、環境や人に合わせた行動しか出来なくなる

などといった、自分に存在価値を見出せない子に育ちやすい傾向にあると考えます。

 

8~11を基本として育てられた子は、

・自分の意見に自信のないことは人に聞ける(自分で調べられる)

・褒められることを喜びとし、自己成長を自身で喜べる

・家庭以外の社会環境(保育(幼稚)園・学校・友達の家など)での出来事を自発的に話してくれる

・何があっても親を頼ってくれる

など、表現力・発信力が豊かな子に育つと考えられます。

 

8~11の積み重ねにより、「12.認める」の数が増えていき、子は自信を付けていくのです。

 

 生活拠点である家族、特に親子のコミュニケーションで人生の基礎人格が決定されてしまいます。子育てに正解はありませんが、子育ての積み重ねの結果がその子の未来を大きく左右します。とはいえ、親も人間です。体調や感情の変化によって、子だけではなく多様な人間関係の中でも問題が起こり得ます。

 

 心理学で有名なアドラーは【人生のあらゆる問題は、対人関係の問題である。】と明言しています。

 

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 では、人間関係を教育・構築していく上で、何を心掛けて日々を過ごして行く事が大切なのでしょうか。

1.固定観念の誕生と形成

人間は、母の胎内で受精卵となって初めて「独立した個としての生命体」と定義されます。

 

 人体の基礎が形成されていく中でも、表情もあり、シャックリもし、手足を動かしたりと、胎盤という範囲の制限の中で自らのの意思決定で行動していました。胎児の状態では、どのように見え、どんな聞こえ方であったのか。。。どのような時間間隔で、体調変化や快不快をどう感じていたのかなど、興味はあっても絶対的な答えを知る術はありません。

 

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 私達が認識できるのは出生し、この現実世界との出会いから。分娩であればウォータースライダーを抜けて着地したところ。帝王切開であれば光が微かに届く洞窟内の海から太陽降り注ぐ外海に出たような感覚。

 

 そこから私達はこの世界を見・聞き・感じ・味わい・香るという【5感】を通して、「人間の機能とそれを使った生き方」を実際に体験し、その記憶の蓄積によって今があります。これが「健常者」、所謂【普通の人間】と世間一般的に定義されるモノです。

 

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 人は生まれながらに平等。平等とは一体誰が決めるものなのでしょうか。出生時の現実世界での解釈は本人によるものではありません。生まれながらに視力が無い新生児はそれが当たり前であり、その状態を他者比較によって第3者が差別したりする事により、「自分は普通ではない」という認識が本人に入る。それが無ければ自分の当たり前を標準ではないなどという思考は生まれる事が無いはず。

 

 こうして、自分が【人体】と【5感(脳)】というものをセットに持って出生した直後から、先に現実世界で生きている者の状況により多様に分類される。兄・弟・姉・妹・一人っ子・長男・長女・欠損・欠落・不全・先天性疾患・・・いろいろな名前の中から選別され、本人の意思とは無関係に条件付けをされていきます。

 

 親から見れば、長男・長女・次男などは「子」として一括りに出来るはずなのに、「お兄ちゃんなんだから」「あなたより小さい子なんだから」など、先に生まれた方が子供の頃は我慢を強いられたり、「何回言わせるの!」「何を言ってもわからないダメな子!」などというレッテルも、親が自分で受けてきた教育をそのまま自分の子にしているに過ぎませんが、それは子供に関係あるでしょうか。

 

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 生まれた時は泣く事も、排泄する事も大自由でした。社会生活を送る上での基盤として、オムツからトイレでの排泄に移行や、人体の成長と共に衣服の大きさを変えること、飲食の介助から自立動作などは必然ではあります。が、果たして【泣く】などの感情を出すことをそこまで抑制する必要はあるのでしょうか。

 

 現代人は、他者に本心を打ち明けられないことが何より苦しく、淋しく、それを許されない冷たい社会の中で生きています。

 

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 私達は何を考え、何を変えていくべきなのでしょうか。

そうだ!人生をゲームとして楽しむ発想で生きてみるなら...

元来ゲームが好きな私は、昔は仕事に支障をきたす程のやり込み具合で、こどもの頃はよくファミコンなどをポーズにして夕飯を食べてまた食べ終わったら再開したり、大人になってもオンラインゲームで何ヶ月もPCを付けっぱなしにしていたりなど、夢中になったら止まらない性格でした。

 

初期のファミコンが家に来た時は、父の持つコントローラーの指示通りにマリオがテレビの中が動いているのを見て、「お父さん凄い」と思ったのを今でも覚えています。

 

 

なぜゲーム市場が現代に至るまでここまで成長を遂げてきたのかを考えてみた時に、「現実世界とバーチャル世界という新しい境界線」が大きな要因ではないかと思います。

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