J humind association

人生をロールプレイングする/『生き直す』という新しい選択肢

『個が立つ和の共同体社会』という
新しい自分の在り方の創建と
優しい人との繋がり方

Proposal to live as RPG

4.望まずして環境によって作られた我々日本人の最大の課題

 私達は両親(家族)に始まり友達・学校・会社など、人や環境にいろいろな影響を受けて今を生きています。「私」という一人称ひとつ取ってみても、日本語の多様な表現方法により、自分に対する表現方法も変化してきました。男性であれば、「○○ちゃん」→「ぼく」→「俺」などが一例ですが、表現方法が多様に存在する為に、TPOで使い分けをするという面倒な事も起こっています。

 

 そもそも、TPOで自分を変えなくてはならないのは何故なのでしょう。

 

・家では自由に行けるトイレ、学校で言い出し辛いのは何故だろう

・会社や勉強会・交流会に正装で出席しなければならないとは誰が決めたことだろう

・アドバイスされたことを命令や嫌味と捉えられてしまう

・「言われないと分からない」というが、言われるまで待たずに何故自分から聞かないのだろう

・「ダメだと思ってた」「怒られると思ってた」それを何故決め付けてしまっていたのだろう

 

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 初対面の方に対しても、相手の情報がない状態にもかかわらず、見た目や雰囲気や話し方などから相手を勝手に、過去の自分の経験や思い込みを嵌め込んで考えてしまうことはないでしょうか。知らない人に自分を勝手に決め付けられるというのは、きっと「される側」に自分がなった場合は不快に思われる事が多いと思うのですが、無意識のうちに他者に対してしてしまうのが今の日本人特有の思考パターンのひとつなのです。

 

 日本人が知らずに行ってしまっている思考・行動パターンはいくつかあります。これは個人差があり絶対ではありませんが、そのように思ったことはないでしょうか。

 

①話している途中に相手が時計を見たら、「もう帰りたいんだ」と思ってしまう。

②満員のエレベーターで「暑い…」と誰かが感想を言っただけなのに、同意見を持っている自分が「じゃあ乗らなきゃ良いじゃん」と心の中で批判してしまう。

③車の運転中に、自分も道を間違えて申し訳ないと思いながらも無理な車線変更をすることがあるのに、人にされると腹が立つ。

 

 挙げていけばキリがありませんが、こうしたことが複雑に絡み合った社会生活を送っていくのは、客観的に見た時に非常に生き辛いと感じるのではないでしょうか。

 

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 何故このような行動・思考をしてしまうのでしょう。それは一種の自己防衛と、無意識で起こる優越感と自分勝手な正当化が大きな要因と考えられます。①はもしかしたら帰りたいのではなく、あなたの終電時間を気にしてくれている優しさのかもしれませんし、只時間がどれぐらい経っているか確認したかっただけかもしれません。②では自分が不満も漏らさずに我慢できている事を、不満を漏らした相手に対して自分が強いと誇示したいという深層心理が働いていることも考えられます。③は自分勝手な思考としか言いようがありません。こういった思考・行動パターンが無意識で生じている背景には、私達がこの世に生を受けてきた時から心に刻まれてきた「教育」が根底にあるのです。

 

 日本の学校教育では、暗記教育が主流です。暗記教育が生み出す負の遺産、それは「一番初めに収集した情報が何にも勝る最高の情報と勘違いする」というものです。幼少期より、誰が付けたかもわからない単語の暗記を蓄積し続けてきました。それはいつしか習慣化され、さらに学校教育でも強化されることにより、「覚えたこと=正しい事」という間違った解釈を無意識にインプットしてしまい、自分とは違った意見を容易に受け入れることが出来ない柔軟性に疎い思考パターンが作られてしまう、ということです。①はまさにこれが当て嵌まり、過去にそのような経験があった記憶から、相手をそのように決め付けてしまった、ということなのです。順位を付ける教育方針も②に該当します。

 

 幼児期の言葉の覚え具合が早ければ他の子より賢い、などと勘違いする大人も沢山居ますが、身体的・精神的成長に個人差があるのは当然であり、他者がどうだから我が子がこうだと比べたり決め付けたりする事自体がナンセンスなのです。ですが、政府や地方の大人の勝手な物差しで統計による標準という基準を作り出した結果、優劣の差が必然的に生まれました。身長の高い者が偉い、低い人間は劣っている。強者は弱者を力で捻じ伏せる。こんな固定観念がどこかで作られてしまうのは、学校教育課程を通過してきたからなのです。身長の高低差はそれぞれに活かされる分野があり、力のある者は力弱きものを助けるのが日本人本来の優しさであったはずです。それを差別的に扱うことは非人道的であると思いませんか。

 

 精神面でも同等の事が言えます。学校で判断される学力評価は人間性のごく一部であり、人格全てではないにもかかわらず、それによって出来る出来ないを分け、人の本質を計るものではないと明言せずに子供達に「よく頑張った」「もっと頑張れ」などという言葉を、教師が無責任に発しているのです。学校で見せる子供の能力が全てでしょうか。友達との遊びの中でムードメーカーを発揮できる子や、誰よりも似顔絵が上手な子は評価されることは有りません。ですが大人が見るのは通知表の評価のみ。これでは子供が正当な評価を受けているとは言えないのではないでしょうか。

会社での評価もこれと同じ不満が生じてはいませんか。

 

 日本人が受けてきた教育は結果として、他者からの評価によって「私」という人格をいろいろな角度から決め付けられ、それを「自分」として存在させている。これが現代日本人の実態なのです。「自分がどういう人間だ」ということを、今迄自分が言われてきた言葉以外で表現・定義できる日本人が、果たしてどのくらいいらっしゃるでしょうか。それほど、他者・環境に無意識に合わせて生きてきてしまっていたということなのです。

 

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 周囲の当たり前、状況環境下での暗黙のルールの中でしか自分自身を表現できない、自由の全くない窮屈な生き方を強いられている現在の日本社会の在り方を打破しなければ、いつまでも真意を伝えられない状況に苦しみ、我慢を強いられ、ストレスに耐え、精神的な悩みを未来永劫持ち続ける生活を余儀なくされることになります。

 

 こんな社会を変えなければ!と思いませんか。

 もっと血の通った本来の人間の温かさを感じられる関係性を築いていきたいとは思いませんか。

3.学校生活で作られた「日本人」としての在り方と新社会人への適応

年齢を重ね、子は各々によって異なりますが保育園、幼稚園、小学校(以下「学校」と呼称)という社会環境へとフィールドを広げていきます。家庭環境で接する限られた人間関係の外に出ることになり、友達・友達の親・担任の先生など、今までの家庭環境での当たり前とは違った思想を持った人と触れ合うことによって、より様々な思い方や考え方の選択肢が増えていくステージに移行します。

 

 当然のことですが、友達や担任の先生も幼少時の人格形成を基本として行動しているため、価値観や物事の捉え方は自分とは異なります。 それによって、「自分とは違う人」という明確な境界線を引くことを無意識でしてしまうのもこれが初めてのことでしょう。

 

 学校教育とは、どのような学びの場なのでしょうか。

 

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 基本的な代表例をいくつか挙げていきましょう。

全体行動が基本

暗記学習

一問一答

学力査定文科省の学習指導要領に則ったチェック項目により決められる順位評価制度

⑤学校生活の主体は担任の主観に帰属する

 

一部ではありますが以上のようなものがあります。

 

 子育ての人格形成の基本は「家庭(家族)」に間違いなくあります。学校教育に入った時点で、国が定めた教育方針に沿った「日本人」としての在り方が養われていくのです。上記の代表例をご覧になって、どのようなことを思うでしょうか。現代社会で生きる私達は、これによく似たシステムの中での今も生活をしているとは思いませんか。

 

 例えば会社を学校教育の代表例に合わせて解釈して見ましょう。

 

①出勤時間は決まっている、退勤時間は決まっていない。皆と歩調を合わせないと疎まれたり妬まれたり、信頼関係すら失う。

②やり方を覚えて仕事をする。が、人それぞれの学習能力は違うにも関わらず、ある一定ラインを常に超えていないと怒られる。

③先輩に教えられるやり方をそのまま遂行したが結果が出なかった。怒られるばかりで他のやり方がわからないので途方に暮れる。

④結果が全てであり、成長過程にある将来有望な者を評価しないことにより、離職率が増え雇用問題が深刻化。

⑤上司のご機嫌取りが出世し、寡黙に仕事で成果を出している者よりも評価される。

 

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 もちろんこのシステムを改良・進化させ、良い職場環境を生み出している会社もあるでしょう。ですが、多くの会社は日本の学校教育をそのまま社会システムに反映し、いつしかその形態が「会社」という独裁的な環境設定に強制的に従わされる結果を生んでいることにお気付きでしょうか。学校教育過程を修了し、夢と希望を持って社会へ飛び込もうとする新社会人を待ち受けている次なる環境が、学校教育をさらに劣悪化した環境。会社が教える知識は、もはや自己成長を促す勉強ではなく、企業特化戦士を生み出す「詰め込み失敗量産型システム」であり、その人個人の人生を豊かにする心の教育ではない、逆に心を擦り減らす人生を歩ませるものになってはいないだろうか。

 

 「日本人」としての在り方。それは世界から見たらどのように見られているのでしょうか。ものづくりに関して言えば世界トップクラスでしょう。世界に発信しても恥ずかしくない、日本として誇れる企業も多く存在しているのも事実です。ですが、残念ながら大半ではありません。

 

 今の日本は、物には不自由しなくても心が満たされない鬱病大国となっています。少年犯罪や自殺者が増え、思い遣りを持った行動をするとなぜか白い目で見られるから優しさを出し惜しみしてしまうという悪循環を生んでしまっています。

 

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 人に優しい社会、温かみのある人間関係はどのようにしたら生まれるのか。

 その答えを本気で考えていかなければならない時が来ているのです。

2.家庭環境で作られる基礎人格

出生した新生児は胎盤から出生地、親が居宅としている生家と生活環境を変え、人生を歩んでいきます。

 

 生きていく為の世話を家族から受けながら成長していきます。人体的な成長は飲食・排泄の世話、生活環境や風土に合わせた衣服の着脱、入浴などによる清潔保持などを中心に行われ、身体機能維持・向上を目的として行われていきます。

 では精神的な成長はどのように行われていくのでしょうか。

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親が子供に対する行動は成長の段階によって増えていきますが、大筋としては

 

 1.放棄・・・親としての責任放棄、養育しない

 2.怒る・・・親の主観(物差し)で子に感情を叩き付ける

 3.命令・指示・・・意図は話さず「〇〇しなさい」とだけ言い放つ

 4.他者比較・・・他の兄弟姉妹や近所の子・過去の親と比べて子を判断する

 5.否定(行動・人格・存在)・・・言った事が出来ないと「ダメ!」「出来ない子」という烙印を押す

 6.人格定義・・・「この子はこういう子だ」という決め付けをする

 7.先行危険回避行動・・・危ない行動が出来ないように防御線を張る

 8.共感・・・子の想いを自分事とし、同じ想いであるという安心の環境を創る

 9.叱る・・・なぜそのような行動をしたのかを理解しようとし、同じ事をしないように導く

10.褒める・・・出来るようになった事を共に確認し、喜び合う

11.共に考える・・・意見に耳を傾け、子を尊重しながら共に答えを導き出す

12.認める・・・子を一人の人格者として接する

 

 以上、12段階(項目)に分類されると考えています。

 

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1~7は親の子への思想の強要(教育ではなく飼育の部類であり、強制的に言動の制限をすることにより子の可能性を狭めていく)

8~11は教育(子に主体を置き、独自性・創造力を育てていく)

12は対等(発達途中の子供という認識から外れ、平等な意見交換が出来る)

という解釈が出来るのではないでしょうか。

 

1~7を基本として育てられた子は、代表例として

・自分に自信が持てない

・自分の思い(感情)が素直に出せない

・何をしても怒られると思い、行動力・積極性に欠ける

・顔色を伺って、自分の思ったとおりの行動よりも、環境や人に合わせた行動しか出来なくなる

などといった、自分に存在価値を見出せない子に育ちやすい傾向にあると考えます。

 

8~11を基本として育てられた子は、

・自分の意見に自信のないことは人に聞ける(自分で調べられる)

・褒められることを喜びとし、自己成長を自身で喜べる

・家庭以外の社会環境(保育(幼稚)園・学校・友達の家など)での出来事を自発的に話してくれる

・何があっても親を頼ってくれる

など、表現力・発信力が豊かな子に育つと考えられます。

 

8~11の積み重ねにより、「12.認める」の数が増えていき、子は自信を付けていくのです。

 

 生活拠点である家族、特に親子のコミュニケーションで人生の基礎人格が決定されてしまいます。子育てに正解はありませんが、子育ての積み重ねの結果がその子の未来を大きく左右します。とはいえ、親も人間です。体調や感情の変化によって、子だけではなく多様な人間関係の中でも問題が起こり得ます。

 

 心理学で有名なアドラーは【人生のあらゆる問題は、対人関係の問題である。】と明言しています。

 

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 では、人間関係を教育・構築していく上で、何を心掛けて日々を過ごして行く事が大切なのでしょうか。