J humind association

人生をロールプレイングする/『生き直す』という新しい選択肢

『個が立つ和の共同体社会』という
新しい自分の在り方の創建と
優しい人との繋がり方

Proposal to live as RPG

なぜ【個が立つ和の共同体社会】を実現させなければと思ったのか

人は、幸せになることを願ってきた。

人類史が始まって以来ずっと。

様々な発明をし、テクノロジーの発達をしていきながら。

今この瞬間が、過去最高に便利で住みやすいことは間違いないと思う。

 

だが、果たして今、全人類は幸せであると言えるだろうか。

長い年月をかけて追及してきたはずの幸せを、人は手に入れられていると言えるだろうか。

 

今のこの世界を見てみよう。

国の権力を握っている一部の人間が、自分の国以外を差し置いてでも自国が肥えることを考え、そしてその国に生きる一般市民は【国】という支配の中で、今までの積み重ねてきた『当たり前の生活』を何の疑問も感じずに不満を吐露しながらも生きている。

自分を定義する場合、自己都合によって変化するが「自らの体」という境界線が最小単位であり、自他を強烈に分けている。

考えや発想は、自ら何の立証もしていない不確実性この上ない外部情報から得た自分の知識経験を、あたかも真に正しいことだと自信満々で胸を張って主張し、他者の意見を否定しなければ自分を保てない。

自分の一部しか見ていない、どんな人生を歩んでどんな経験をしてきたかもわからない他者からの勝手な思い込みによって決め付けられた自分の人格を、そうかもしれないと安易に受け取ってしまい、自分自信を自分で決められない。

競い、争い、勝者と敗者を生み、勝者が力を付け、敗者は蔑まされる。

 

 

これが・・・長年求め続けてきた本当の幸せの形なのだろうか?

仕方ないと諦めて、今のままで死ぬ為に生きていくことが人類の望む【人生】なのか...

 

 

誰かが変えてくれるかもしれない。

淡い期待を誰もが、何百年もしてきた。

 


それで果たして変わっただろうか。

待っていて確かに生活がいくら便利になったし、これからももっと便利になるだろう。

だが、便利=幸せとは違う。

 

 

人間にとっての本当の幸せとは一体何なのか。

人類共通の幸せの定義とはどういったものなのか。

是非一度、自らに問うて欲しい。

 

 

そうしなければ、人類は人類によって滅ぼされる結果となるだろうと、私は思う。

 

 

 

 

 

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個が立つ和の共同体の概要説明は以下のリンクにあります。

神社でお賽銭するような【自由投げ銭形式】にしているのでお金払わなくても読めます。

小額ではありますが、活動支援していただけるお気持ちのある方は投げ銭お願い致します。

 

note.mu

個が立つ和の共同体の全体像

①はじめに

②Realive

1.なぜ今自由ではないのか知る

色々な人の判断基準を入れられているため、選択肢が減っている現状を説明。

*参考資料*

jhumindassociation.hatenablog.com

2.自分が何に縛られているのか知る

 

①当たり前・常識・暗黙のルールに縛られている。

*参考記事*


②自分の思考、言動に縛られている。

 

③人生再創造

 

 ■社会を理解する

 

Ⅰ.人間関係について<コミュニケーションの大前提>

A.全は一、一は全

B.わたし以外と繋がる


Ⅱ.環境・場について<世の中の限界>

①義務教育がもらたした「基準」というものさし

*参考資料*

jhumindassociation.hatenablog.com

⑤個が立つ和の共同体 

 みんな違っていることはあたりまえでそれは素晴らしい

【『生きる』ということについての私の仮説 】

私が最近発想として持っているのは、

AIでいうCLOUD(ビッグデータ)は、人間が知り得て言語化できた膨大な叡智の蓄積であり、全人工知能で共有可能なもの。
生命を持った全てのものは、自分が誕生するキッカケの根源ともいうべき宇宙誕生よりも更なる前からの記憶が、今はまだ知り得ない【真理のビッグデータ】にあり、私達はそこから一部をこの体に封入され、それに【心】という名前を付けているのではないかと。

つまり、私の行き着いた答えは、
『私達が【知る】という作業をするのは、真理のビッグデータから一部しか貰えなかった情報を、自分の心に戻す(再構築)作業をしているのではないか』という仮説です。

だから、人がそれぞれ違うことはそういうことで、いろんな環境状況において蓄積した各個人の【心】の集積こそが、【生きる】ということの答えではないかと考えました。

ですから、自分の知識経験による判断基準が全て正しいと思うのは、自分が真理であるという自覚があることが、他の体に入っている【心】を受け入れるに逆に弊害をもたらしているのではないかと思います。

違うということは素晴らしい
この真意はここからきています。

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